戦国の世の合戦を歩く 第3回
大坂冬の陣・真田丸の戦い
1月3日(火)大坂冬の陣の古戦場へ訪れました。大坂冬の陣は豊臣秀吉亡き後、徳川家康は関ヶ原の戦いを経て征夷大将軍に。さらに天下人への道を歩む中で、豊臣・徳川の二重公儀体制の解消に動きます。
その中で豊臣家が建立した方広寺の鐘に徳川家の了解を得ないまま「国家安康」「君臣豊楽」の銘を刻むという事件が起き、この問題がこじれた末に大坂冬の陣が勃発するのです。徳川の軍勢約20万、対する大坂方は約10万。
上町台地に築かれた大坂城は西に淀川と大阪湾、北に天満川、東に平野川と湿地帯と、天然の要害に囲まれていましたが、南側だけは空堀があるだけで防御の弱点になっていました。真田幸村はこの弱点を補強するため、惣構えの東南端に出丸を設けました。これが真田丸です。木津川口、今福、鴨野の局地戦で勝利を収めた徳川勢は真田幸村のこもる真田丸へ攻めかけます。慶長19年12月2日~4日(1614年1月1日~3日)のことでした。このツアーは合戦の当日に現地に訪れ歴史を肌と目で感じます。
今回の講師の笠谷和比古・国際日本文化研究センター教授は大坂の陣研究の第一人者。『主君「押込」の構造』でサントリー学芸賞を受賞。他の著者に「関ヶ原合戦と大坂の陣」など。その先生の解説のもと現地を見学しました。
午前中は京都の方広寺に訪れ。その後、午後からはまず大坂城に訪れました。

(掲載の写真はコース下見時の写真です)
大坂城を訪れた後は豊臣大坂城の惣構え巡り(東横堀、空堀通り、猫間川)を車中から見学し天王寺の茶臼山古墳に訪れました。

茶臼山古墳は天王寺公園の中にあり、冬の陣で家康の本陣、夏の陣では真田幸村の本陣が置かれた場所です。そして、徳川秀忠の岡山に訪れた後、いよいよ真田丸址を見学しました。

真田丸址は現在、三光神社になっており、当時大坂城も通じていたという伝説がのこる真田の抜け穴が残ります。それを最後に見学しました。
次回は、2月4日「三方ヶ原の戦い」です。解説は小和田先生の予定です。
是非ご参加願います。
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