古道山歩 萩往還を歩く
11月の初め、古道山歩の佐竹先生の解説で歴史街道「萩往還(はぎおうかん)」のハイライトのコースを歩きました。合わせて長門市仙崎で生まれた金子みすゞに記念館やフランシスコ・サビエルゆかりの地をめぐりました。
大阪からバスで山口県長門市まで約550㌔、金子みすゞの生まれ育った仙崎に到着します。この町で「若き童謡詩人の中の巨匠」がうまれました。記念館には26歳の若さでこの世を去った金子みすゞの資料を展示しています。 私の一番好きな詩です。
大漁
朝焼け小やけだ
大漁だ
大ばいわしの
大漁だ。
はまは祭りの
ようだけど
海のなかでは
何万の
いわしのとむらい
するだろう。
湯本温泉に泊まり、翌日からいよいよ「萩往還」を歩きます。
その前に「萩往還(はぎおうかん)」の意味を先生のレジュメから抜粋します。私もはじめは「萩羊羹」(はぎようかん?)と聞いてしまいました。
◇歴史の道 萩往還
萩往還は、慶長九年(1604)の萩城築城後、城下町(萩市)と瀬戸内の港三田尻(みたじり)(防府市)をほぼ直線で結ぶ街道として開かれました。全長は約53㌔です。
この道は、殿様の「お成り道(おなりみち)」(参勤交代道)として整備されましたが、山陰と山陽を結ぶ陰陽連絡道として、江戸時代の民衆の重要な交通路となりました。また、幕末には、維新の志士たちが往来し、歴史の上で重要な役割を果たしました。
往還には、宿場駅や一里塚、往還松などの交通施設が設けられ、また、殿様一行の交通に伴う各種の施設も造られました。「茶屋」は殿様の休憩用の施設で、山口・三田尻は宿泊用として、佐々波市(ささなみいち)は休憩用として設置されました。「建場(たてば)」「駕籠建場(かごたてば)」は、殿様の休憩施設で悴坂(かせがさか)・釿切(ちょうなぎり)・日南瀬(ひなたせ)・一ノ坂・柊(ひいらぎ)・鯖山(さばやま)峠の見晴らしの良い場所に設けられました。また、殿様一行の施設に対し、庶民の施設である「茶店」は悴坂・六軒茶屋・鯖山峠などにあり旅人の疲れをいやしていた。……
萩往還を知っていただいて出発です。まず出発地の萩城跡(別名、指月城)です。ここから防府を目指します。今回のウオークは街道のハイライト部分だけで、町中や国道などはバスで移動しました。
松蔭神社を参拝します。
萩往還の起点「唐樋札場(からひふだば)」を車窓でみて。
吉田松陰歌碑(涙松跡)
首切り地蔵
栗山孝庵女刑屍体腑分跡(ちょっと怖いところです)
昼食には佐々並市の「ささなみ豆腐」をいただきました。この豆腐は知る人ぞ知る豆腐で、唯一「やなぎ屋旅館」で食べることができます。(おなかが空いていたので料理写真を撮る前に食べてしまいました。)
悴坂駕籠立場
一升谷の石畳
日没になりましたので「落合の石橋」まで歩き萩温泉へ。
翌朝は佐々並の中作から出発です。
景色のいいところだけ歩き、県道などはバスに乗車し効率よくあるきました。
六軒茶屋跡
国宝・五重塔の瑠璃光寺
往還道からそれてフランシスコ・サビエル記念聖堂
サビエル布教の井戸を見学。
古道山歩の海外編で2009年にスペインの巡礼道、サンティアゴ・デ・コンポステーラを歩きました。その時にスペイン・ナバラのザヴィエル城を見学しました。こんなヨーロッパの西の国からよく日本まで来たのだと思いました。フランシスコ・サビエルの凄さを感じました。
湯田温泉・西村屋旅館に泊まりました。(この旅館は老舗で中原中也がここで婚礼をした宿です) 翌日はゴールの防府へ。
道中に漂泊の詩人、山頭火のゆかりの地を歩き
三田尻御茶屋 英雲荘
三田尻御舟倉跡(ゴール)
3泊4日の旅は無事に終了しました。
毛利氏の参勤交代の道。山陰と山陽を結ぶ重要な道。幕末の志士たちが時代と共に駆け抜けた萩往還。はるか江戸につながるこの道を武士や庶民はどんな思いであるいたのでしょうか。
次回、古道山歩は12月17日~18日「47人目の浪士・寺坂吉右衛門を歩く」です。
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